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2015-02-06 21:32    ルイヴィトンマヒナ財布
 父の故郷は、光りのおびただしい土地であった。しかし一年のうち、十一月十二月のころには、たとえ雲一つないように見える快晴の日にも、一日に四五へんも時雨《しぐれ》が渡った。私の変りやすい心情は、この土地で養われたものではないかと思われる。  五月の夕方など、学校からかえって、叔父の家の二階の勉強部屋から、むこうの小山を見る。若葉の山腹が西日を受けて、野の只中《ただなか》に、金屏風《きんびょうぶ》を建てたように見える。それを見ると私は、金閣を想像した。  写真や教科書で、現実の金閣をたびたび見ながら、私の心の中では、父の語った金閣の幻のほうが勝を制した。父は決して現実の金閣が、金色《こんじき》にかがやいているなどと語らなかった筈《はず》だが、父によれば、金閣ほど美しいものは地上になく、又金閣というその字《じ》面《づら》、その音韻から、私の心が描きだした金閣は、途方もないものであった。  遠い田の面《も》が日にきらめいているのを見たりすれば、それを見えざる金閣の投影だと思った。福井県とこちら京都府の国堺《くにざかい》をなす吉《きち》坂峠《ざかとうげ》は、丁度《ちょうど》真東に当っている。その峠のあたりから日が昇る。現実の京都とは反対の方角であるのに、私は山あいの朝《あさ》陽《ひ》の中から、金閣が朝空へ聳《そび》えているのを見た。  こういう風に、金閣はいたるところに現われ、しかもそれが現実に見えない点では、この土地における海とよく似ていた。舞鶴湾は志楽村の西方一里半に位置していたが、海は山に遮《さえ》ぎられて見えなかった。しかしこの土地には、いつも海の予感のようなものが漂っていた。風にも時折海の匂《にお》いが嗅《か》がれ、海が時化《しけ》ると、沢山の鴎《かもめ》がのがれてきて、そこらの田に下りた。  体も弱く、駈足《かけあし》をしても鉄棒をやっても人に負ける上に、生来の吃《ども》りが、ますます私を引込思案にした。そしてみんなが、私をお寺の子だと知っていた。悪童たちは、吃りの坊主が吃りながらお経を読む真似《まね》をしてからかった。講談の中に、吃りの岡《おか》っ引《ぴき》の出てくるのがあって、そういうところをわざと声を出して、私に読んできかせたりした。  吃りは、いうまでもなく、私と外界とのあいだに一つの障碍《しょうがい》を置いた。最初の音《おん》がうまく出ない。その最初の音《おん》が、私の内界と外界との間の扉《とびら》の鍵《かぎ》のようなものであるのに、鍵がうまくあいたためしがない。一般の人は、自由に言葉をあやつることによって、内界と外界との間の戸をあけっぱなしにして、風とおしをよくしておくことができるのに、私にはそれがどうしてもできない。鍵が錆《さ》びついてしまっているのである。  吃りが、最初の音《おん》を発するために焦《あせ》りにあせっているあいだ、彼は内界の濃密な黐《もち》から身を引き離そうとじたばたしている小鳥にも似ている。やっと身を引き離したときには、もう遅い。なるほど外界の現実は、私がじたばたしているあいだ、手を休めて待っていてくれるように思われる場合もある。しかし待っていてくれる現実はもう新鮮な現実ではない。私が手間をかけてやっと外界に達してみても、いつもそこには、瞬間に変色し、ずれてしまった、……そうしてそれだけが私にふさわしく思われる、鮮度の落ちた現実、半ば腐臭を放つ現実が、横たわっているばかりであった。  こういう少年は、たやすく想像されるように、二種類の相反した権力意志を抱くようになる。私は歴史における暴君の記述が好きであった。吃りで、無口な暴君で私があれば、家来どもは私の顔色をうかがって、ひねもすおびえて暮らすことになるであろう。私は明確な、辷《すべ》りのよい言葉で、私の残虐《ざんぎゃく》を正当化する必要なんかないのだ。私の無言だけが、あらゆる残虐を正当化するのだ。こうして日《ひ》頃《ごろ》私をさげすむ教師や学友を、片っぱしから処刑する空想をたのしむ一方、私はまた内面世界の王者、静かな諦観《ていかん》にみちた大芸術家になる空想をもたのしんだ。外見こそ貧しかったが、私の内界は誰よりも、こうして富んだ。何か拭《ぬぐ》いがたい負《ひ》け目を持った少年が、自分はひそかに選ばれた者だ、と考えるのは、当然ではあるまいか。この世のどこかに、まだ私自身の知らない使命が私を待っているような気がしていた。  ……こんな一挿《そう》話《わ》が思い出される。  東舞鶴中学校は、ひろいグラウンドを控え、のびやかな山々にかこまれた、新式の明るい校舎であった。  五月のある日、中学の先輩の、舞鶴海軍機関学校の一生徒が、休暇をもらって、母校へあそびに来た。  彼はよく日に灼《や》け、目《ま》深《ぶか》にかぶった制帽の庇《ひさし》から秀でた鼻梁《びりょう》をのぞかせ、頭から爪先《つまさき》まで、若い英雄そのものであった。後輩たちを前にして、つらい規律ずくめの生活を語った。しかもそのみじめな筈の生活を、豪奢《ごうしゃ》な、贅《ぜい》沢《たく》ずくめの生活を語るような口調で語ったのである。一挙手一投足が誇りにみちあふれ、そんな若さで、自分の謙譲さの重みをちゃんと知っていた。彼はその制服の蛇腹《じゃばら》の胸を、海風を切って進む船首像の胸のように張っていた。  彼はグラウンドへ下りる二三段の大《おお》谷《や》石《いし》の石段に腰を下ろしていた。そのまわりには、話に聴き惚《ほ》れている四五人の後輩がおり、五月の花々、チューリップ、スイートピイ、アネモネ、雛《ひな》罌粟《げし》、などが斜面の花圃《かほ》に咲きそろっていた。そして頭上には、朴《ほお》の木が、白いゆたかな大輪の花をつけていた。  話者と聴《きき》手《て》たちは、何かの記念像のように動かなかった。私はといえば、二米《メートル》ほどの距離を置いて、グラウンドのベンチに一人で腰掛けていた。これが私の礼儀なのだ。五月の花々や、誇りにみちた制服や、明るい笑い声などに対する私の礼儀なのだ。  さて、若い英雄は、その崇拝者たちよりも、よけい私のほうを気にしていた。私だけが威風になびかぬように見え、そう思うことが彼の誇りを傷つけた。彼は私の名をみんなにきいた。それから、