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[ルイ ヴィトン] LOUIS VUITTON モノグラム ミニモンスリ リュック ショルダーバッグ M51137 [中古]
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null さらに、悪い事態は、十人を率いるホアキン隊と四月十七日に離ればなれになってしまったことであった。ホアキン隊とは、それ以後、互いになんとかして連絡しようとしたのだが、八月三十一日に、ターニアのいるホアキン隊がリオ・グランデの川岸で待ち伏せにあって全滅するまで、ついに連絡がつかなかった。  ゲリラ戦争は、ゲリラ同士の連絡行動が成果を倍増する。それがバラバラであっては、大きなマイナスである。  六月二日にマルコス、続いて二十六日には、トゥマニが戦死し、ポンボも重傷を負った。チェは、この月の月間分析のなかで、敵は気づいていないだろうが、重なる人員の損傷は重大な打撃だ、と書いている。  その反面、ゲリラ強しの噂は、ボリビア全土に拡がりつつあった。それを決定的にしたのは、七月六日のスマイパタの占領だった。  この日のことは、チェもくわしく書いているが、わたしは、現地で何人かの目撃者と会うことができた。歯医者のキロガはこういう。 「わたしが出会ったのは、友人と共に町から八キロはなれたガルフ石油のキャンプまで行った帰りだった。キオスコという小店でコーヒーをのんでいた。わたしたちは四人で、そのうちのひとりはDICの人間だった。  うしろから『静かに』といわれて振り向いて見るとチノが立っていた。かれはわたしたちを壁に対して立たせ、ポケットを調べた。そして何も武器がないとわかると、タバコをくれたりしたのち、仲間にならないか、といった。わたしは、自分たちは自分たちで働いて国をつくると答えた。チノは、職業は何かといった。歯医者だというと、かれは、歯医者はこっちにもひとりいるからな、といって笑った。あとでチェの日記を読んで、それがチェのことだとわかった。それからかれらは出発して行った。十分間くらいのものだったとおもう」  これが日記にあるバレルモ峠の小さな店である。そこからチェたちはトラックをとめてスマイパタに向った。スマイパタは人口約三千。サンタクルス—コチャバンバ街道上の田舎町である。ホテル・ツーリスタの主人エドワルド・タピア・テランは、かなり年月のたったその事件を、いまでもきのうのことのように興奮して、身ぶり手ぶりで語る。 「夜の十二時ごろだった。バスで五人、トラックで三人やってきた。チェ・ゲバラだけは身なりもわりあいにきちんとしていた。入ってくると、フリオと声を出して部下を呼び、すぐに電話線を切らした。それから、クスリ屋のありかを聞いてから、わたしにも薬品がなにかあるか、とたずねた。アスピリンと胃腸薬があるというと、定額以上の金を払って行った。それから引きあげる前に、兵隊と中尉を連行してきて車にのせた。兵隊たちは三時間後に靴なしで戻ってきた。小学校の方では、抵抗した兵隊がひとり殺された」  当の薬局店主エフトル・イントリア・タピアはいう。 「十二時三十分ごろだった。ドアを叩くものがいるので、起きて行き、あけた。このドアは上下別々にあくので、まず上の方をあけると、ぱっと隠れたものがいた。同時にまた髪を肩までたらしたゲリラがいた。あとでわかったが、チノだった。  あけろとかれは命じたが、わたしは締めようとした。するとかれは金は払うといった。もうひとりのゲリラが姿をみせて入ってきた。チノは、兵隊はどれくらいいるか、と質問した。わたしは、沢山いると答えた。他のゲリラは薬棚を調べ、外のトラックにいるものに、『もっと金をもってきてくれ』といった。それがチェかどうかは知らない。それから雑貨もあるなどといいながら、靴、果物の罐詰、薬品をかきあつめ、計算してくれ、といった。本当は二千八百ペソくらいだったが、怖《こわ》いので間違えてしまい、千七百ペソだというと、そのとおり支払ってくれた。ビニールの袋から札を出して払った。そのとき、外で捕虜にしていた兵隊に、『おれたちが略奪しているのではないことは、これでわかったろう』といっていた。  かれらは、弾帯を肩から十字にかけ、腰にもピストルをさげていた。わたしの印象では言葉遣いも立派で、教養のある男たちであった。最後には『夜中にいろいろありがとうございました』とていねいにいって立ち去って行った。この間、十五分くらいのものだったとおもう」  しかし、補給作戦欲としては、チェ自身はあまり成功ではなかった、と書いてある。かれ自身が欲していた喘息《ぜんそく》用の薬はなかったのである。そして、このころから、三十九歳の誕生日をすぎたチェは、再び喘息に苦しめられるようになっていた。  42 新たな敵  人は生き、そして死ぬ。  わがチェ・ゲバラもその例外ではあり得ず、わたしはかれの死について、いよいよ筆をはこばなければならない。思うに、人間は現象としての死に打ち克《か》つことはできないにしても、いかにして死ぬかによって、死を超越することはできよう。それはまた、死に至るまでいかにして生きたかの問題につながることでもあり、チェの生と死とは、それに対するひとつの見事な答えであった。